戦前時代。第二次世界大戦

戦前時代。第二次世界大戦

サハリン島の20世紀における歴史は複雑で劇的です。

1904年~1905年の日露戦争は、基本戦闘が満州と旅順半島(中国)でありましたが、サハリン島も影響を及ばれました。ロシア帝国の二等防護巡洋艦「ノヴィーク」は、包囲されている旅順要塞から突破し、ウラジオストクに向かっている途中、1904年8月20日、ラペルーザ海峡で日本の防護巡洋艦「対馬」と防護巡洋艦「千歳」に応戦しましたが、衆寡敵せずでした。敵は退却しましたが、「ノヴィーク」の乗務員は巡洋艦が損傷を受けたので、敵奪われないように「ノヴィーク」をコルサコフ沖に沈めざるを得ませんでした。

展示には、ロシアの二等防護巡洋艦「ノヴィーク」の47mm大砲、「ノヴィーク」の模型及び乗務員の写真、沈没しかけの「ノヴィーク」の写真、艦上から陸地に移設した大砲の写真があります。

1905年に、サハリンを攻略するために、日本で13師団を編成しました。サハリンにおけるロシア軍の兵員は、元懲役囚らから編成されたパルチザン部隊から成っていました。1905年6月24日に、日本軍はアニワ湾に注ぐメレヤ川の付近(現在プリゴロドノエ村の付近)に上陸しました。

十分な武装もなく、ろくな訓練も受けていないロシア兵士たちは、一ヶ月以上、敵の圧倒的に優勢な兵力に英雄的な抵抗を続けていました。

展示には、パルチザン部隊の作戦図、兵士らの本物の個人的な物、トゥナイチャ湖の付近で35日間にわたって敵の兵力に勇敢と戦った部隊(V.V.グロットスレピコフスキー部隊長)の武装があります。

1905年7月24日、日本軍はサハリン北部に上陸しました。ロシアの部隊は頑固に戦っていましたが、結局、8月17日、降伏しました。1905年9月に調印されたポーツマス条約に従い、サハリンは、北緯50度が国境となり、以北はそのままロシア領土で、以南は日本に譲渡されました。

北サハリンにおけるソビエト政権を樹立するための戦いには、A.T.ツァプコ、G.P.コルブノフ、V.Y.アボルチンなどの多くの著名な政治家たちが貢献をしました。

A.T.ツァプコはペトログラード市で起こった革命の後、1917年3月、アレクサンドロフスク市で形成された公安委員会の会長となりました。

展示には、A.T.ツァプコが1916年にハバロフスク市からサハリンへ出発する前に友人たちからもらった、献辞文が刻んであるインクセットとアレクサンドロフスク市からウラジオストクへ引越しする時に部屋のドアから外した銅板があります。

同じショーウインドーには、G.P.コルブノフの個人的なチェス及び「チェス大会2位を占めたG.P.コルブノフへ記念に。1939年11月3日」という献辞文が刻んでいる陶磁茶碗が展示されています。

1920年に日本は北サハリンを占領しました。この事件とその他の事件は、1925年1月に終わった、北サハリン問題を巡る日ソ交渉の写真資料に写っています。当展示には、V.Y.アボルチンソ連外交官の肖像があります。この人は、北サハリンを日本司令部から引き受けるソ連中央執行委員会全権委員会の委員長を務めていました。1925年の春、駐留日本軍は北サハリンから撤退しました。北サハリンの解放に当たり、1925年5月15日に開かれた集会にアレクサンドロフスク市民たちが集まった写真が展示されています。

ソビエト政権が回復された後、サハリン北部の天然資源の調査と社会主義の建設が始まりました。

共産党の会議に関する資料は、北サハリンにおける全連邦共産党の活動を明らかにします。第一サハリン管区共産党の会議は、1928年10月に行われました。そこでは、第一次国民経済・文化五ヵ年計画が採択され、後に第一管区ソビエト大会により認定されました。

1928年8月、「サハリン石油」トラストが創設され、その所長はV.A.ミラー氏が任命されました。サハリンの石油は、極東と東シベリアの経済にとって、大きな意義がありました。1930年代の初めごろ、オハ市とモスカリヴォ港を繋ぐ鉄道が敷設され、オハ油田から石油の運送が開始しました。

展示には、オハ付近における日本利権石油企業で働いたヤコフ・ヴォロヴィク医者が描いた絵があります。
1929年、サハリン北部で農業の集団化が開始しました。

この展示は、大衆的生産性向上運動と石炭生産の復興と発展を紹介しています。

全連邦レーニン共産主義青年同盟(コムソモール)の中央委員会の呼びかけにより、サハリンに若者たちが来ていました。最初のコムソモール員たちの写真、その個人の所持品、木材調達公団で働いた彼らの宿舎の模型は、当時の苦しい生活と仕事の条件について語っています。木材とその他の木造製品の大部分は輸出されていました。

当時、サハリンで民間航空ができました。1930年1月9日に、ハバロフスクからオハまでの初回飛行は、M.V.ヴォドピャーノフに実行されました。

サハリンの人々の文化的な生活の変化に関する資料も展示されています。当時、クラブや映画館が開館されたし、プロ芸能団も、アマチュア芸能団もできました。宣伝班も形成されました。写真は、20世紀の30年代のサハリン北部における原住民の生活を紹介します。

樺太時代(1906-1945)の南サハリン

ポーツマス条約調印後、サハリンの南部は日本領になりました。1907年、ここで、樺太庁が発足しました。1908年から、行政中心は豊原です。1925年8月、裕仁皇太子は樺太を訪問しました。樺太庁には、市町村、港、工場の建設が展開されました。1939年から、樺太に強制連行された朝鮮人たちは、安い労働力となりました。樺太庁の人口は30万人まで増えました。1937年、樺太庁博物館が開館、王子公園が営業開始しました。クリル列島(千島)と樺太庁の国境地域は武装地帯でした。そこに、コンクリート防御陣地、武装した駐屯地(兵士・将校約19000人)、技術がありました。

1936年、日本は、日独伊三国同盟(枢軸国)を締結し、これにより、1939年、第二次世界大戦が開始されました。

独ソ戦時代におけるサハリン州

1941年6月22日の晩、サハリンでファシストのドイツがソ連を攻撃し、独ソ戦が開始したことが明らかになりました。北サハリンは、戦争中、人々が勝利のために努力をしていた深い後方でした。

1941年~1942年の寒い冬期、建設されたオハ・ソフィイスクナアムレ石油パイプラインの写真が展示されています。

当パイプラインは極東と東シベリアの燃料確保に大事な役割を果たしました。展示の写真と書類は、サハリンの石油専門家たち、炭鉱夫たち、漁夫たちの苦しくて頑固な労働について語っています。その中に、G.T. ポドシヴァロフ、N.T.ヴォルコフなどです。女性は男性のかわりに働くこともありました。主人と5人の息子たちが戦争へ行き、残されたクセニヤ・ボロディナは、「クラスナヤ・トィミ」ソフホーズ(ソビエト農場)で班長として働いていました。

当館に独ソ戦に行ったサハリン人たちの記念展示物のコンプレックスがあります。

N.D.グリシェンコ、A.A.ボロディン、P.D.ソスニンの書類、手紙、個人の所持品が展示されています。

南サハリンとクリル列島の開放

1945年8月、サハリンとクリル列島は、会戦場となりました。展示物の中にある写真と書類は、テヘラン会談(1943年)とヤルタ会談(1945年)について語ります。ヤルタ会談では、ソ連は対日参戦の義務を負いました。基本戦闘が満州に展開したのにかかわらず、最終段階は南サハリン作戦とクリル作戦でした。展示されている図は、1945年8月9日のソ連軍基本攻撃を示しています。

1945年8月11日、南サハリン開放作戦は開始し、幌見峠防御陣地の襲撃から始まりました。写真と書類を見れば、同年8月16~20日、恵須取、塔路、真岡、大泊への上陸作戦及び島々で展開した激しい戦闘について語っています。

展示に、戦闘に参加したD.T. セルヂュク中佐とM.G.ドドノフ中佐の個人な所持品と書類及びソ連邦英雄の称号を与えられたS.T.ユディン、 G.G.スヴェテツキー、P.N.シドロフ、L.V.スミルヌィッフ、A.E.ブユクルィの肖像があります。8月25日、サハリンでの戦闘が終わり、1905年に失われた領土は返還されました。

極東におけるソ連軍の作戦の中で特別な地位を占めるクリル上陸作戦に関する展示物もあります。展示物の中に、作戦図やソ連軍兵器と戦利品があります。日本は、クリル列島に駐屯地がたくさんありました。8月18日、ソ連軍は、要塞のような占守島に上陸しました。日本軍は強かったため、苦しい戦闘は、5日間にわたって続いていました。ソ連軍の武士たちは、英雄的に戦っていました。英雄に関する資料の中にN.A.ヴィルコフ水兵、P.I.イリチョーフ水兵、P.I.シュトフ少佐、V.I.シゴフ下士官などの写真があります。8月23日、敵の抵抗は打ち破られました。9月1日までに、占守島以外の島々における駐屯地は、戦闘せず降伏しました。このように将来のサハリン州の領土は解放されました。

当展の最後の展示物は、1945年9月2日、アメリカ戦艦「ミズーリ」甲板上で日本無条件降伏文書を調印することを写している写真です。第二次世界大戦が終戦しました。

 

博物館の展示

地下一階
歴史的な地質学
極東海の動物
一階
植物動物界
展示会場
古代文化と民族
深海に
二回
戦後期。現代
サハリン島と千島列島の発見と開発
戦前時代。第二次世界大戦
ロシアの懲役徒刑地とされたサハリン







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